小田急電鉄。新宿から箱根を結ぶ特急ロマンスカーで有名である。もちろん観光路線面だけでなく、沿線がベットタウンとなった今では、数多くの通勤通学の足としてもなくてはならない路線となった。地下鉄千代田線との乗り入れが1978年に開始。新宿のみならず、表参道や国会議事堂、大手町までが乗り換えなしで乗車出来る利便性から、沿線人口は更に増加した。
2016年春のダイヤ改正で、地下鉄千代田線綾瀬駅から先、JR常磐緩行線への乗り入れも開始され、本厚木・唐木田〜取手までが乗り換えなしで結ばれることになった。左のイラストの4000系も、乗り入れ車両として、地下鉄千代田線・JR常磐緩行線まで乗り入れる。
また、下北沢付近の複々線化が2018年度に完成すると、代々木上原から登戸までが複々線化され、混雑緩和が期待され、その利便性は更に進化することになる。
近年は駅のリニューアル等もあり、お洒落な駅舎デザインも増えてきている。
さて、今回は、小田急電鉄の色についての研究を掲載していきたいと思う。
まずは小田急の歴史から…
新宿〜小田原までを一気に開業
小田急電鉄といえば、やはり、有名なのが開業と同時に小田原線(新宿〜小田原間)を一気に開業させたことで有名である。1927年(昭和2年)のことであった。そして、その2年後には江ノ島線が全線開業する。そして、開業から8年後の1935年には、ロマンスカーの全身でもある週末温泉特急の運行が開始され、新宿・小田原間をノンストップ結ぶ特急が誕生していた。
戦況が悪化していた1938年に施行された陸上交通事業調整法により、小田急電鉄は東京急行電鉄(大東急)に吸収され、解散。
1948年に大東急から京王帝都電鉄・京浜急行電鉄・小田急電鉄が分離。再び、小田急電鉄が誕生する。この際、箱根登山鉄道と神奈川中央交通が関係会社となる。4年後には江ノ島電鉄も関係会社となる。この年の10月には復興整備車を使用した新宿〜小田原間を結ぶノンストップ特急も復活している。そして、1951年に1700形を使用した本格的なロマンスカーが誕生する。
一気に開業した小田急
革新的なダイヤ
小田急ロイヤルブルーの
起源はいつから?
小田急といえば、通勤形車両はケイプアイボリーにロイヤルブルーの帯が印象的である。また、コーポレートカラーもロイヤルブルーを使用している。これは、新標準色と呼ばれている。この新標準色が制定されたのが、1969年のことだった。
では、なぜ、小田急はロイヤルブルーになったのか。当時、小田急は、ダークブルーにイエローというカラーリングを使用していた。非常に濃い暗いイメージの色合いであった。
ちなみにそれ以前は、ぶどう色一色であった。
どうやら、2600形が一番最初の新標準色を纏ったという話がある。実際のところ、新標準色を最初に纏った形式を割り出すことが現時点では見つけることが出来なかった。そして、以後、小田急に誕生する9000形や5000形、8000形へと継承されていくことになる。
自分も小田急に乗る時は、必ずと言っていいほど、このアイボリーにロイヤルブルーの列車を待っていた。この車両を見ると、小田急に乗っているんだという感覚がすごく感じられることを覚えている。
その後、ステンレス車やアルミ車が誕生と同時にケイプアイボリーはだんだんと姿を消しつつある。現在では8000形が残るのみとなってしまった。
小田急の新時代を継げるように、次々と増えているステンレスやアルミ車。新4000形が登場した際には、そのロイヤルブルーがすこし明るいインペリアルブルーへと変化した。
ちなみにインペロアルブルーは、ルリマツリの花の色からだそうで、4000形登場から、そのほかの車両も順次帯色が変更されている。
旧塗装復活時と新標準色の2600形(2004年までに全廃)
箱根湯本駅に停車する8000形(2005年撮影)
時代が進むにつれて、その変化をもたらす鉄道。その色は様々で、なぜこの色が?とか気になって調べ始めると多くの方々が詳しく調べているサイトがたくさんあって本当に驚くと共に、やっぱり鉄道って奥が深いなぁと感じることがたくさんありました。
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